2014年2月26日

映画「魔法使いの弟子」がもたらした魔法?

さて、ぼちぼち寝ようかなと思ったら、地上波でこんな映画やってる。昨日は昨日で「キックアス」やってて、その前はオリンピックの閉会式。なんだか毎晩、朝までテレビにつきあわされてる感じ。



ところで、この映画『魔法使いの弟子』(2010年)はご存知の通り、ディズニーの名作「ファンタジア」(1940年)に出てくる“魔法使いの弟子”をベースにしており、制作と主演のバルサザール役を務めたニコラス・ケイジが企画し、大ヒットシリーズ「ナショナル・トレジャー」のチームが再結集して制作された作品です。製作はジェリー・ブラッカイマー、監督はジョン・タートルトープ。





芸術性の高いアニメーションを目指して製作した「シリー・シンフォニー」シリーズや「白雪姫」に飽き足らなかったウォルト・ディズニーは、より高い芸術性をもった「ファンタジア」を製作しました。レオポルド・ストコフスキーの指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏するクラシック音楽をバックに、さまざまなストーリーの短編アニメーションが展開していく同作では、デュカスの「魔法使いの弟子」をバックに、魔法使いマーリンの弟子に扮したミッキーマウスが掃除をさぼって魔法を使ってとんでもない事態を引き起こしてしまいます。





その“ファンタジアの「魔法使いの弟子」” をモチーフとして、まったく新しいファンタジーアクションとして製作されたのが本作というわけです。実際、ファンタジアでミッキーが起こした失敗と同じエピソードが本作にも登場します。

かつての偉大な大魔法使いマーリンの弟子で、第777代目の最高指導者であるバルサザール(ニコラス・ケイジ)は、千年もの間、後継者を探していたが、現代のニューヨークで“選ばれし者”、デイヴ(ジェイ・バルチェル)と出会う。物理オタクで、ケンカひとつしたことない大学生で困惑するデイヴを一方的に弟子にし、魔法を教えようとする。そのころ、バルサザールの宿敵、マクシム・ホルヴァートら邪悪な魔法使い“モルガニアンズ”は史上最悪の女魔法使いモルガナ・ル・フェイを蘇らせるようと暗躍しはじめる。デイヴは見事、魔法使いとして覚醒するのか? モルガニアンズの陰謀をバルサザールとデイヴは阻止できるのか?

映画としての評価も興行成績も中ぐらいの評価で、まぁ、なんとも中途半端な印象のある作品ですが、僕は結構好きな作品です。それ以上に僕にとっては忘れられない作品なのは、作品の内容ではありません。公開されてすぐに見に行けなかった本作は公開最終週になってようやく見に行く事ができたのですが、スケジュールの関係から、見に行く事ができたのは、ご近所のシネコンに、それも雨模様の水曜の夜の最終回に、ひとりで、というシチュエーションでした。

シネコンのロビーにしてはほとんど人もいなくて、もしやとは思ったのですが、なんとの200席近くあるスクリーンに、観客はたったひとり。そう、願ってもまず実現する事のない、貸し切り! だったのです。こんな贅沢な事はありません。バカみたいに回りを何度も見回してみたり、指定した席以外の席にわざわざ座ってみたり、本来ならゼッタイ起こられる事をしてみたり……。

そんなわけで「魔法使いの弟子」は忘れられない作品なのです。







   

2014年2月25日

ウェアラブルとはこういうこと。専門店だから創りえたFUN`IKI glass

以前からウェアラブル・デバイスの中で、とりわけヘッドマウントディスプレイタイプの拡張現実ウェアラブルコンピュータ(ようするにメガネ型の情報端末ですね)について、「こんなダサいものかけたくない」とか、「こんなのかけてるヤツが溢れかえった街になんかいたくない」とか、あちこちで発言しては、グーグルグラスとかに注目しているみ〜んなから冷ややかな目で見られていました。

だって、ダサいものはダサい。そういや時計型もギャラクシーギアなんて、超絶ダサいものも出てますね。まぁ、子どものおもちゃみたいなものでも、ガジェット好きの人にとっては、先進性とか新規性とか、あ、それととにかく目立ちたいって人にとっては、ダサさなんか気にならないんでしょうけどね。

ウェアラブルデバイスに関する、そんな態度を示している僕に同調してくださる方がいらっしゃいまして、その方が所属する“メガネのパリミキ”の㈱三城ホールディングスと情報科学芸術大学大学院(IAMAS)赤松正行教授、IAMAS卒業生らによるベンチャーの㈱間チルダらによって組織された「FUN`IKIプロジェクト」が、現在、バルセロナで開催中のMobile World Congress 2014において、メガネ型情報端末「雰囲気メガネ」を発表しました。

見た目はメガネそのもの


まず、このデザイン。現物を見てみない事には正確な判断はできませんが、これはまごうことなくメガネです。小3からメガネをかけ続けている僕じゃなくとも、これはあきらかにメガネのデザインです。デザインの好き嫌いはあるでしょうが、すくなくともスカウターみたいなヘンテコなものではありませんね。これなら映画館にかけて行っても、呼び止められたり、警備に追い出されたりしません。もっとも、この雰囲気メガネでは映画を盗撮したりはできないと思いますけど。

雰囲気メガネはスマートフォンやパソコンの代わりを果たす位置づけのデバイスではなさそうです。資料によれば、

「歩行中や打合せ、PCの作業時においてもフルカラーLEDライトの点滅と小型スピーカーからのサウンドによって、周囲に気付かれることなく電話の着信やメールの受信、スケジュールやタイマーなどのさまざまな情報を把握することができます。従来のスマートフォンだけでは難しかった役割を担い、極めてシンプルな機能とナチュラルな使用感を目指した、ライフスタイルにとけこむ最新型のウェアラブル・デバイス」

とのこと。要するに、打ち合わせや移動中の電車内、デート中とか、所構わず鳴り出す “空気を読まない” ケータイやスマホの代わりに、さりげなく知らせてくれるというわけです。光や音だけでどれだけの情報が伝わるのかは、ぜひ試してみたいところです。もっとも、そこに情報量を求めすぎるから、不必要な機能が満載したダサデバイスになっちゃうのかもしれませんね。そのあたりの機能については、連動するスマートフォン側のアプリをアップデートすることで機能追加できるようです。

このLEDで光る機能にはパーティなどで目立つカラフルなライトやリラックスできる落ち着いたライトなどがあるようですが、将来的にはこの光でコミュニケーションを取ったり、脳波を読み取って気持ちの状態を伝えたりといった事も可能かもしれませんね。


スマートフォンと連動して操作できます

まだまだ市民権を得るには時間がかかりそうなウェアラブル・デバイスにはこれぐらいの機能や見た目がちょうどいいのではないかと思います。一般発売時期は未定との事ですが、今後の展開に注目です。

【仕様】
重量:38.5g
通信:Bluetooth 4.0 Low Energy
バッテリー:リチャージャブル・リチウムイオン・バッテリー
ライト:フルカラーLED 6基
オーディオ:小型スピーカー 1基
センサー:照度センサー、加速度センサー

2014年2月13日

いただきます、という思い

いまはこういう関わり方をあえてしないと、食といのちに接する事ができない不自由な時代なのかもしれません。




僕が子どもの頃はわりと生活圏の中で食肉を捌く場面に接することができたし、特に僕の場合、近所のおじさんが経営している食肉工場がすぐそばにあったので、鶏を捌くところは何度も見ていました。もちろん、そういう事に接していたからって、構えて “いのちをいただいている” なんて思いに至る事なんて、おとなになるまでなかったし。

雑誌BRUTUSが別冊で「悦楽的男の食卓」という本を(1985年ごろかな? すでに絶版で手元にあるはずの本が見つからず、体裁をお見せできないのが残念)出したのですが、この中にさまざまな野菜などの食材に混じって、じゃがいもだったか、人参だったかを置いて、目のところを隠した兎があったのを見て、「そうだよな、昔の人はこうやって狩りをして…」と思いながら、いまもやっている事は基本的に変らないんだよなぁ、と思ったのが最初だったと記憶しています。

どんな事がきっかけで食やいのちの大切さに接するかわからないものです。この記事の場合は自分で狩りをして捌く事で、食やいのちに接しているのだろうと思います。

先日、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で『シングルマザーハンター』というドキュメントを見ました。趣味が高じて、女性としては数少ないプロの猟師になったシングルマザーと、高校受験を控えた一人娘を追った内容でした。

このドキュメントの優れたところは、鹿や猪といったけものをいただくという部分について、ことさらに特別に扱うのではなく、彼女たち家族の間ではごくごく当たり前の事としてとらえ、そこにフォーカスをするよりも、母が女でひとつで娘を育てる手だてとして命がけの仕事として狩猟を行っている事にフォーカスしていたことです。そうした環境で育った娘は母がけものを捌くのを当然のように手伝い、同時に保護した猪をペットとして可愛がっていました。

ちょっと普通の家族は違った生活を送っている親子ですが、丁寧に捌いた鹿肉がフレンチレストランにその仕事を信頼されて、一流の食材として扱われている事に接した娘が母親を尊敬したり、中学の卒業式は狩りの仕事で出席できないと思っていた母が、仕事を早く切り上げて、きちんとして母親として出席したり、と普通の親子の生活として、丁寧に追っているところが好感が持てました。

自分が必要だと思えば、狩りをして自分で捌いてみるのもいいし、自分の血肉になってくれたいきものに対して薄ぼんやりとした感情しかなくとも、コンビニ弁当でも「いただきます」と言って食べるだけで僕は十分だとも思います。いのちへの接し方はひとそれぞれでよいのだと。